アジア系初の閣僚としてアメリカの政界で大きな功績を残した日系2世のノーマン・ミネタ氏が 、3日、心臓病のため亡くなりました。90歳でした。
サンノゼ市長を経て、1975年にアメリカ本土で日系人として、初めて連邦下院議員に当選。2000年にはクリントン政権で、アジア系初の閣僚として商務長官に就任しました。 第二次世界大戦中、まだ幼かったミネタ氏は家族と2年間をワイオミング州の収容所で過ごしており、その後、政治家として、日系人強制収容に対するアメリカ政府の謝罪と補償に尽力しました。そうした経験から、2001年の同時多発テロ発生時にブッシュ政権で運輸長官を務めていたミネタ氏は、当時、イスラム系アメリカ人への差別が横行する中、人種によるプロファイリングをせずに空の安全対策の指揮にあたり、その指導力が称えられました。